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脳卒中を生きる(Title)

「脳卒中を生きる・トピックス 平成21年6月」


  • 目次:「脳卒中を生きる・トピックス 平成21年6月

1.「サバイバーと伝えたい」とテイラー博士は語られた

  • “脳卒中の犠牲者ではなく、脳卒中からの生還者「サバイバー」と伝えたい!“
  • 復活した“脳の力”~テイラー博士からのメッセージ(NHK)
  • 1)著者のご紹介
  • 「脳卒中を生きる・トピックス 平成21年6月」新進気鋭の女性脳科学者として活躍していたジル・ボルティ・テイラー博士。
  • 37歳で脳卒中に倒れ、一時、言語や思考をつかさどる左側の脳機能が停止した。
  • 8年間のリハビリを経て完全復活を果たした彼女の手記は、脳卒中の実態や脳の未知の力を示す貴重な記録として、人々の共感を呼んでいる。





  • 2) 著書「奇跡の脳」「My STROKE of INSIGHT」;翻訳 竹内 薫
  • 著者 ジル・ボルティ・テイラ- 新潮社

「脳卒中を生きる・トピックス 平成21年6月」「脳卒中を生きる・トピックス 平成21年6月」

  • 3)ジル・ボルティ・テイラー博士の体験談
    • ・ 1996年のクリスマス直前のある朝、激しい頭痛とともに目覚めた。
      • 左目の奥が刺すように痛かったという。

    • ・ 自分の脳で脳卒中が起きていることに気付いたとき、すでに左脳の言語野は侵され、言葉をしゃべること
      • も、論理的思考も奪われていた。

    • ・ 脳卒中を発症した博士を襲ったのは、不思議な幸福感で有ったという。
      • “私は生きている!そのことが、とにかく素晴らしく感動的であった。”と。

    • ・ 脳科学者で脳が悪くなって行くことを体験した者は他にいただろうかと好奇心が強く働いたとも述べられ
      • ている。

    • ・ 病院に担ぎ込まれ、手術により一命をとりとめた彼女は、母親の数学者のジジと共に、その後の8年をか
      • けて懸命のリハビリに励み、見事に言葉を取り戻した。

    • ・ 脳の神経細胞は(原則として)再生しないので、出血により侵され、失われた神経細胞は元に戻らない
      • が、残された神経細胞を訓練し、テイラー博士は、ほぼ脳卒中以前の生活ができるところまで回復した。脳は驚くほど柔軟だ。それを脳の「可塑(かそ)性」と呼ぶ。

    • ・ 右脳と左脳の機能の違いが「右脳は直観、左脳は論理」などとされているが、それが本当かどうか、脳科
      • 学者の間でも意見が分かれているという。
      • 人間の脳は実験することができないので、仮説を立てることは可能だが、なかなか実証することができない。その意味で、テイラー博士の体験談は、右脳と左脳の機能の違いが明白にある、ということの一つの証拠といえると言われている。

    • ・ 脳卒中に倒れ、言語機能が失われ、物事を論理的に筋道だって考えることができなくなる。
      • 他人の言っていることが理解できない。身体の境界がわからなくなり、周囲と渾然(こんぜん)一体となり、まるで「流れる」ような感覚に陥る。つまり、空間の感覚が消えてしまう。
      • また、過去・現在・未来という直線的な時間もなくなり、あるのは「今」だけであり、また、宇宙と一体化し、とてつもない幸福感に浸れるという。
      • それを、テイラー博士は、「涅槃(ねはん)」の状態という、悟りの境地と語っていた。

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2.記念講演「病を得て再び<生きる>ための中での「サバイバー」への言及

  • http://www.saiken.jp/mshiro/cn22/pg180.html

  • 「脳卒中を生きる・トピックス 平成21年6月」社会学者細田満和子氏は、2006年10月 著書「脳卒中を生きる意味」を発表された。

  • http://saiken.jp/pg249.html#b1

  • 2006年11月5日「片マヒ自立研究会 100回記念講演会」の中で、「病を得て再び<生きる>ために」と題して、記念講演をされた。
  • 最後に、“「脳卒中の犠牲者」から「サバイバー」へ”という言葉で、講演の締めくくりとされた。
  • それには、次のような意味があると話された。
  • “アメリカでは脳卒中患者というのは、脳卒中を発症したばかりの人を指します。
  • 多くの人が、脳卒中になって、かえって人間的に豊かになったと思っているという事実があります。
  • この事実はアメリカでも同じように見受けられるものです。
  • ですから現在、アメリカでは脳卒中になられた方を、「脳卒中の犠牲者」ではなく、「脳卒中のサバイバー」と呼んでいます。
  • サバイバーというのは、生き残った人、生還者ということです。
  • そこには、脳卒中を発症しても、たくましく生き延びて、そこから自らの人生を新しく、豊かに切り拓いてゆくという意味がこめられています。
  • この会場の中にいらっしゃる脳卒中のご経験者の皆さんに「サバイバー」になって、ご自身の脳卒中のご経験を、周りの人に見せたり、伝えたりして下さるなら、世の中の多くの人が、脳卒中になるということの意味を理解しやすくなるでしょう。

  • 犠牲者からジャンプアップしてサバイバーへという願いを込めて、この講演を、締めくくりたいと思います。“
  • 「記念講演」

  • http://www.saiken.jp/mshiro/cn22/pg180.html

「脳卒中を生きる・トピックス 平成21年6月」

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3. 社会学者「鶴見 和子」博士と免疫学の権威「多田 富雄」博士の脳卒中体験

  • 1)著書 「邂逅(かいこう)」;藤原 書店
  • 「脳卒中を生きる・トピックス 平成21年6月」両博士の脳卒中体験を通した往復書簡で有る。

  • 2) 著者の紹介
    • ① 鶴見 和子 社会学者(2006年7月31日逝去)
      • 国際的社会学者の鶴見氏は、様々な顔を持つ多面体の人物である。
      • 正面を正視すれば、国際的社会学者の顔を持ち、社会運動家の顔を持ち、歌人としての顔を持っていた。
      • 歌は、若き日に歌人佐佐木信綱(1872ー1963)に薫陶を受け一冊の歌集を自費出版したものの、その後ずっと忘れていたものだ。
      • 「脳卒中を生きる・トピックス 平成21年6月」しかし平成7年(1995)12月24日、クリスマスイブの夕方近く、突然脳出血で倒れると、左半身が麻痺してしまったものの、突如として歌が溢れるように湧いてきたというのである。



      • 「脳卒中を生きる・トピックス 平成21年6月」この時鶴見氏の年齢は77歳であった。それ以来、2006昨年7月に88歳で亡くなるまでの11年間、歌は彼女の不自由になった身体を支える杖となって機能したのである。
      • 若き頃に歌に勤しんだことは実は忘れていたのではなく地球の奥底に眠るマグマのようにただ外に現れなかっただけであったと書いている。



    • ② 多田 富雄 免疫学者
      • 「脳卒中を生きる・トピックス 平成21年6月」茨木県出身。千葉大学医学部教授、東京大学医学部教授、東京理科大学生命科学研究所 所長を歴任。
      • 1971年に抑制T細胞を発見するなど免疫学者として優れた業績を残す。

      • 野口英世記念医学賞、朝日賞(1981年)、文化功労者(1984年)を受賞。
      • 「脳卒中を生きる・トピックス 平成21年6月」また、執筆活動も行い、『免疫の意味論』、『独酌余滴』『寡黙なる巨人』等多数。
      • 能の作者としても知られ、自ら小鼓を打つこともあった。
      • 作品に、脳死の人を主題にした『無明の井』、朝鮮半島から強制連行された人を主題とした『望恨歌』、アインシュタインの相対性理論を主題とした『一石仙人』、広島の被爆を主題とした『原爆忌』がある。

      • 2001年、滞在先の金沢にて脳梗塞となり、声を失い、右半身不随となる。
      • しかし、執筆意欲は衰えず、執筆活動を続けている。

  • 3) サバイバー(脳卒中からの生還者)としての書簡
    • 脳卒中に倒れた社会学者「鶴見 和子」博士と免疫学の権威「多田 富雄」博士の脳卒中体験からの生還者としての実感が往復書簡の中で種々明らかにされている。

    • ① 鶴見和子先生は「邂逅(かいこう)」の中で次のように語られている。(P58~60)
      • ・ 私は、倒れてのちの自分の変化を「回生」ということばで表現しております。
        • それは、医者にMRIの映像を見せられまして―私の場合は「左片麻痺ですから右脳ですー、「右側の連動神経の中枢が決壊した。深部が決壊したから、この左片麻痺は死ぬまで治りません、だから運動はできません。しかし左側の脳は完全に残っています」と言われました。

      • ・ それで、言語能力と認識能力が残ったから、仕事はできますというふうに言われました。そこで私
        • は、自分が後へ戻れない、「回復」しない、一生これから重度身体障害者として生きるのだということがはっきりわかりますと、そこで、後へ戻れないならば前へ進むよりしようがない、つまり、新しい人生を切り開くと覚悟を決めました。

      • ・ それでどういうことが起こったかというと、まず歌が復活して、自分自身のことばで物を語り、考え
        • ることができるようになりました。

      • ・ これまでは、アメリカ社会学からの借りもののことばでものを考え、語っていた。
        • 借りものの言葉を捨てたのです。

      • ・ もうひとつは、私は、水俣の調査から、人間は自然の一部である。
        • だから人間が自然を破壊すれば、自分自身を破壊したことになるのだ、ということを学びましたけれども、それは理屈だけの話でした。

      • ・ しかし、身体障害者になってからは、毎日の天候によって自分の足の痺れ具合、、痛み具合というの
        • は、時々刻々違います。それだけ私は自然に近くなった、ということがよくわかりました。

      • ・ そして鳥の動さ、草花をみても、たとえば燕の飛
        • び上がる姿を考えて、自分でそのようにやってみたら車椅子から初めて立ち上がれたとか、山川草木鳥獣虫魚のふるまい方から自分が学ぶということが初めて出来るようになりました。
        • そのことが、私の新しい人生をいま、形づくっております。

      • ・ それで、人間がこのようにして一瞬にして倒れて
        • 身体障害者になる、ということの意味は、その人が新しい人生を切り拓くということなんだと考えていたんですけど、先生は自分の中の「新しい巨人」が自分を突き動かし始めたと、「新しい人よ目覚めよ」-これは大江健三郎の本の題名にもあるんですけれどー 新しい人が自分を動かし始めたという表現をしていらっしゃいます。

      • ・ ですから、ここで先制のお倒れになる前の人生と後の人生とのつながりについてお聞きしたいと思い
        • ます。

      • ・ 鶴見先生は、ご自分の歌の復活と自分自身の言葉の甦りを語られている。

      • ・ 脳の可塑性に伴う脳の再生を、多田先生の言葉「新しい人よ目覚めよ」を借りて、脳卒中発症前と後
        • のつながりを多田先生に問われている。

    • ① 多田富雄先生は「邂逅(かいこう)」の中で次のように回答されている。(P83~85)

      • 「回生」と「新しい人」

      • ・ ご指摘の第三の点は、鶴見さんの「回生」と私の「新しい人」の関係ですね。
        • 人間が一瞬のうちにまったく別の生き方をしなけれげならぬ障害者となる。
        • その時鶴見さんは、突き上げられるように短歌が湧きあかってきたと書いておられる。
        • 歌が復活したのです。そしてたくさんの秀歌があふれるように現れた。

      • ・ 私も同じ体験があります。私の場合は昔書いた詩です。私は昔故江藤淳さんなどと詩の同人俗誌をや
        • っていました。文才少年のお遊びとはいえ、かなり本格的なものでした。
        • ところがそれがよみがえって、恐怖からさめたとたん詩になって現れたのです。
        • 幸いワープロが届いた日なので、急いで書き留めました。乱れてはいるが、私の魂の底からの地獄篇でした。その後も、いくつもの詩が湧いてきました。
        • なんと、50年もの時を隔てて、文学少年の血がたぎったのです。
        • 鶴見さんの「回生」と同じです。

      • ・ 自己というものけそのくらい堅固なものであり、すべての変化は自己言及的に行われる、というのは
        • 確かです。その自己は実存的なもので、かえることはできません。

      • ・ しかし、全く別のものが生まれることのあります。というより、堅固な安定した「自己」ではなくて
        • に新たに適応してあらたに生成した「自己」というものもあると考えた方がいいのではないかと考えたのです。創造といってもいいのかも知れません。

      • ・ 神経細抱は死んだら2度と再生しないというのが定説です。
        • 鶴見さんの場合、欠損した右大脳皮質は、もう再生不可能です。
        • しかし機能のほうは、ほかの細胞が神経線維を伸ばして新しい結合を作り出し、ある程度回復する場合があります。
        • 新たにできた神経結合によってどんな行動かててくるか、それが、「新しい巨人」に託したメッセージです。

      • ・ とはいうものの、それが私の場合遅々として進まず、いまだに嚥下障害と構語障害に苦しんでいるの
        • す。どうやらしゃべるのが嫌いな「寡黙な巨人」のようです。
        • しかし彼とはこれから一生付き合ってゆくほかないと、あきらめています。

      • ・ 多田富雄先生は、脳の可塑性に加え、次のように返礼の手紙を書かれている。
        • “その時鶴見さんは、突き上げられるように短歌が湧きあかってきたと書いておられる。歌が復活したのです。そしてたくさんの秀歌があふれるように現れた。“
        • “私も同じ体験があります。私の場合は昔書いた詩です。”
        • ”なんと、50年もの時を隔てて、文学少年の血がたぎったのです。”
        • 鶴見さんの「回生」と同じです。“

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4.森山志郎会長の体験論文に見る「サバイバー」の生き方

  • 「脳卒中を生きる・トピックス 平成21年6月」片マヒ自立研究会主宰―本ホームページ「森山志郎記念館長」

  • http://www.saiken.jp/mshiro/


  • 1)森山志郎プロフィール
  • ・昭和 04年大分県に生まれる。
  • ・昭和28年九州大学法学部卒業。同年古河鉱業株式会社に入社。
  • ・昭和38年同社を退社し,旭化成工業株式会社に入社。
  • ・昭和56年旭化成工業札幌支社長となり,活躍中の昭和60年に脳梗塞で入院。
  • ・平成元年退社。
  • ・リハビリに励みながら障害者の会の事務局長を務め、歴史研究、書道、カメラ
    • などを趣味とし、元気に第二の人生を歩む。
  • ・現在,片マヒ自立研究会主宰。以後各地で多くの講演活動:執筆活動を始める。
  • ・著書に『歩けた! 手が動いた』 (主婦の友出版サービスセンター)
  • 『心が動く』 (荘道社:2001)がある。

「脳卒中を生きる・トピックス 平成21年6月」



  • 2)リハビリ14年目の仮説「森山志郎記念館―論文館」2009/4/27

  • 「リハビリ14年目の仮説」の中で、左脳の障害により右脳の発達に言及されている!また、サバイバーとしての生き方を実施されている。

  • 「3.多様な価値観」;
  • http://www.saiken.jp/mshiro/pg181.html#j1


  • ・ 然し、突然やって来た右手と右足の障害とは、どんなに付き合えば良いのか。まずこの障害が消える事を願っ
    • た。でもそれが駄目だと分かると、悩み、否定し、怒りそして悲しんだ。

  • ・ 然し、お習字の世界に一歩一歩と入るに連れ、私を包んでいた黒雲が晴れて、これまで見たことも無かった価
    • 値観が見え始めた。
    • それは丁度、夜空を飾る星の煌きも、太陽の輝く昼間には見えないのと同じで、健康な間は見えなかった価値観が沢山ある事を始めて知った。

「脳卒中を生きる・トピックス 平成21年6月」

  • ・ そこにようやく私は、例え体は不自由でも命の火を燃やすのに適当な価値観を探しだしたのである。
    • こうして新しい価値観を手に入れた私は、気持ちも楽になり胸を張って歩けるようになった。杖を突いて電車に乗る。
    • 譲って下さる方があれば喜んでご厚意を受ける。
    • 行動に時間がかかっても「ごめんね」と済ます。
    • 障害がある事は何も恥ずかしい事では無くなった。

  • ・ むしろ、人間は加齢と共に様々な障害と付き合わねばならない。
    • 障害を克服して社会生活を自立している私が気づく町のバリアー解決は、声を出せない高齢者に代わって発言もするのである。

  • ・ 障害者として生きるには、何かを棄て何かを柱に生きる必要がある。
    • 何かを掴むためにも、今手にしているものを手から放さねばならにないのである。

  • ・ 移動能力に制限があるので、移動が余り必要のない仕事をする。
    • 利き手である右手の自由を失った私が、今後左手の習字を通じてどこまで能力を引き出せるか。これは一つの限界挑戦であって、その成果はリハビリの可能性の中で議論して欲しいと思う。

  • ・ 今回の書展では左手で書いた事を知った多くの方々が作品の前で首を傾げて、「右手でも書けないのに」
    • と言う疑問ももらした。

  • ・ 私はあるいは左手なるがゆえに書けた作品だったかも知れないとも思う。
    • 左手を使うしかなかったので右脳が異状に発達したのかもしれない。

  • ・ 色んなことを考えながら、右手が不自由でも習字に挑戦できた私は、幸福だと思う。
    • 堂々と胸を張って歩く姿を、夢を奪われた方々に是非見て欲しいのである。
    • こんな素晴らしい人生を支えて下さった皆様に心から感謝する毎日である。

以上


3)森山 志郎館長のジル・・ボルティ・テイラー博士への共感

  • ・ 森山 志郎館長から、NHKのジル博士の再放送後に次のような趣旨のメールを頂いた。
    • 「ジル博士の切には多くの賛同できる部分があり、重点的に検証を進めたいと思います。
    • そのために彼女の論旨を詳細に検討したいと思います。」
  • ・ 私は、次のようなメールを送った。

   森山 会長

  • ジム・テーラー博士の次の言葉に、会長の生きざまが重なりました。
  • 「言語や理性」をつかさどる左脳が破壊され、「心」をつかさどる右脳中心の世界が見えるようになった。
  • 自然の中に分け入っていくと、「個体としての自分」が消滅する。
  • 「自然」と「自分」の境界が消滅する。
  • 「脳卒中を生きる・トピックス 平成21年6月」それは「涅槃(ねはん=絶対的な静寂、仏教の理想の境地)」の状態であると。
  • 右脳中心の世界の説明は、会長にとって「書」や「禅」であり、多田富雄先生の「能」や鶴見和子先生の「短歌」と同時に重なりました。
  • 会長とジム博士の共通部分を感じますね。
  • 会長の新たなる論文が楽しみです。

「脳卒中を生きる・トピックス 平成21年6月」

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5.ホームページの「トピックス」を発信します!

  • ①「片マヒ自立研究会 機関誌の紹介」 第5号機関誌

http://www.saiken.jp/mshiro/cn22/pg122.html


「脳卒中を生きる・トピックス 平成21年6月」

  • ・ 片マヒ自立研究会は、毎月1回例会を開催してきました。
  • ・ 平成21年6月で129回を数えます。
  • ・ 場所:かながわ県民センター:横浜市神奈川区鶴屋町2-24-2 ℡ 045-312-4810
    • 横浜駅西口徒歩5分、障害者無料駐車場あり
  • ・平成21年の予定
    • 6月14日、7月12日、8月はお休み、9月20日、10月11日

  • 「脳卒中を生きる・トピックス 平成21年6月」② 2度に亘る「脳内出血」による左半身マヒの「高橋 良三さんの作
    • 曲」世界のアーチストの演奏CD」の紹介

    • 高橋さんの挑戦の記録は、多くの方の共感と感動を呼びました。
    • 「癒し」と「美しい調べ」をご鑑賞ください。
    • 5月号は、”All Of Sudden”
    • 曲のイメージは大都市の夜景

http://www.saiken.jp/human/pg13.html


  • ③ 論文館「共に岩登りに挑戦する友に」
    • 森山館長の論文は、深い体験と思索と学びに裏付けられものばかりです。
    • 今回の論文は、「共に岩登りに挑戦する友に」です。
    • 校正完了後次のようなメッセージを森山志郎館長から頂きました。
    • “今回は校正と言うよりも書き改めと云うべきかも知れません。
    • 校正の過程で家内から「遺言のつもりか」と問われました。
    • 人間は80歳になれば日常の全てが遺言の色彩を帯びると思います。
    • 遠慮して曖昧に発言していたことも率直な表現になっているからです。
    • 伝えることができるうちに伝えたい。
    • 今回の前立腺障害でこんな気持ちになりました。
    • 大変凄い論文だと思います。
    • 障害者・健常者共に深い共感と生きるべき方向性を示唆されることでしょう。

http://www.saiken.jp/mshiro/pg188.html



「脳卒中を生きる・トピックス 平成21年6月」