論文集 「人が弱った心を癒す仕組み」を見つめ、「障害受容」へ向かう!

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④.「人が弱った心を癒す仕組み」を見つめ、「障害受容」へ向かう!

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 はじめに
 1.脳梗塞の後遺症
 2.悲嘆からの回復:「ステージ理論」
 3.リハビリと身体障害者手帳―「リハビリの常識との乖離」
 4.私の「障害受容への道」
 さいごに

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「人が弱った心を癒す仕組み」を見つめ、「障害受容」へ向かう!

-発症丸3年を経過して-平成16年


←はじめに→


はじめに01.JPG

  • 平成14年6月27日、36年間の会社生活最後の日、私は株主総会出席への車の中で、脳梗塞で倒れた。
  • 「退職」と「脳梗塞」という私にとって、人生の大課題に出合ったとき、今まで経験したことのない精神的、肉体的な苦しみが、私に容赦なく襲いかかり、57年間築き上げてきた私という人間の精神的土台を、根底から破壊されて行った。

  • 全く動かなくなった左半身を見つめながら、辛い苦しいリハビリへ駆り立てて行った力とは何であったのか。
  • 今まで幾多の苦難も乗り越えてきた経験も、思想も、粉々に砕かれていった先に見つめた絶望感。
  • 幾多の経験も、大病という急激な変化を受けきれない人間の弱さ。
  • しかし、その精神と肉体の回復を求め続ける強烈な自分の存在。
  • 人間を、新しい価値へ導く、困難というものの本質。

  • 「真の障害受容」という精神的自立に至るまでには、深い、長い道のりがあることを知った3年間であった。私は、「弱りきった心を癒された側から観た精神対話士の意義と役割」を考察してみたいと思う。


←1.脳梗塞の後遺症→


1.脳梗塞の後遺症02.JPG

  • 脳血管障害(脳卒中、脳梗塞など)には、壊死した脳神経細胞の部位や大きさによって、色々な後遺症が残る。個人差があるのであるが、私には次のような後遺症が残った。

  • 1)機能障害   :左半身の手足に、運動障害が残った。

  • 2)体調不良障害 :目の乾きによる痛み、今まで経験のない疲労感、鉛のような身体の重さ、7ヶ月目頃から始まった左肩の亜脱臼による強烈な痛みが24時間,8ヶ月位続いた。気が狂うほどの痛み切り落としたいほどの痛みは精神を圧迫するのに十分であった。しかし、3年経った今、痺れ以外痛みは解消している。

  • 3)精神的後遺症
  • 私の体験した精神的な後遺症は、私の過去の自分の全てを否定するかのような心の状況であった。
  • (自分の中から生じる苦しみ)

    03.JPG
    • ① 沈黙するからだ;発症1年目の障害の状況
      • ・ 入院1週間の点滴を完了した後も動かない 身体に、強い衝撃を受
        • けた。左に倒れたら起き上がれない、全く感覚のない左半身、歩くことはおろか、座ることもできない。

      • ・ 信じていた身体の状況:1週間もすればすぐ動くはずという楽天的
        • な自分がいた。
        • 脳梗塞の知識など全く無い自分であった。

      • ・ 沈黙する身体を見つめながら:リハビリを始めて1週間位過ぎた
        • 頃、動かい足を見つめながら、妻が来院するのを待っていた。急に「再起不能!」という思いと「未来への不安」が急激な形で押し寄せて来た。
        • -呼吸ができない!深呼吸ができない!気持ちが、底の無い真っ黒な谷底に、崩れ落ちて行くような、全身の血管がミゾオチの一点に絞られたような切迫感に襲われ、全身冷や汗と悪寒に見舞われた。身体をベッドに折り曲げながら、息絶え絶えに力なき自分の生命を見つめていた。
        • その症状は、後年 「パニック症候群」 の一種であったことを知ったのであるが、今までに経験の無い、対処できない感情が押し寄せてきたのであった。経験のない圧迫感は、時として、急激に押し寄せてきたが、3か月程で、そのような症状は消えた。

        • しかし、種類の違う精神的苦悩が、次々に現れ当初の圧迫感が無くなったことに気づくのは、3年も経過してのことであった。

    • ② 苦悩が押し寄せる:
      • ・「何故、自分なのか」、「何故動かないのか」、動転する自分の気持ちは怒りや悲しみが
        • 津波のように押し寄せて来た。

    • ③ 苦悩の種類 私に押し寄せてきた苦悩は発症後、時を同じくし、または単独で次々に
      • 押し寄せて来た。
    • ④ 太田 仁史氏は 「芯から支える」 (参1) の中で、障害を負った人たちの元気が出ないを
      • 理由として、心の問題を七つに整理して論じている。

        04.JPG
        • 1. 生活感覚のとまどい
        • 2. 孤立感と孤独感
        • 3. 獲得された無力感
        • 4. 役割の変化と混乱
        • 5. 目標の変更ないしは喪失
        • 6. 可能性がわからない
        • 7. 障害の悪化や再発の不安
          • この七つの心の問題で、私の課題は整理されていたが、この論文を繰り返し読み込む中で自分の思いを整理していった。それは、次のようなものであった。

      • イ)健康な身体の喪失
        • 「生活感覚の変化への対応」が分からないまま、ADL(日常生活行為)の自立が求められていく。
        • 身体の障害に伴い、従来の自分と同様な行動が全く出来ない。全ての行動に時間がかかる。
        • 思い通りに行動できない自分の身体に、長い間深い悲しみを感じ続けた。

      • ロ)過去への悔恨 05.JPG
        • 自分の過去の仕事、家族への対応、健康への自信過剰、全ての行動に深い悔恨の思いが募り、過去を過去たらしめることが出来ない。
        • 前向きに考えようと思っても、いつの間にか過去の自分とばかり対話していた。太田 仁史は過去の自分と現在の自分とだけを比べ、悲嘆に暮れている心理的状態を「殻に閉じこもっている」と評したが、正に「関心の方向が過去にのみ向いている私そのものであった。

      • ハ)目標の喪失と未来への不安
        • 障害を受けたことで、何時社会復帰出来るか目途も立たず、退職後の仕事の計画も失しなった。そのことで、未来を失ったと自分を責め、悲嘆にくれた。
        • 人は、目標という可能性に生きていたことを感じたが、目標とは常に現在を基盤とした未来への「夢」というものにかたどられていた。

        • 私は、土台という「現在の基盤」を失ってしまったのである。そのことが、「未来」というものへの不安を生じさせた。

      • ニ)自信喪失と孤独感
        • 身体の障害は、健常者の中で、家族の中であっても、障害者は自分ひとりという孤独を感じていく。多くの障害者の存在も知らず、自分の苦悩を語る友人もいない。
        • 倒れたことと、退職による急激な生活環境の変化と不安を生じさせたことに、家族や会社の友人に申し訳ないという思いが深まり、その思いが深まるほど孤独感に襲われていった。後遺症の苦しさは、健常者である家族にも、医療関係者にも分かって貰えないことに気づいて行く。
        • それに加え、職業や地位を含め、幾多の急激な喪失体験は、自信喪失という重い感情を伴い自分の心に圧し掛かり続けて行った。
        • 孤独感に自信喪失感情が加わり、更に過去への後悔、自分への怒り、淋しさや空しさ、挫折感が強まって行くのであった。

      • ホ)家族への関係役割と存在役割の喪失感
        • 家族の豊かさを奪い、心配をかけ、不安を与えたことへの悔恨と申し訳なさは、家族に大切にされるほど募って行く。
        • 一家の主人が働いて家庭を守るという役割を果たせなくなることとは、一家の存在役割も同時に果たせなくなることであった。
        • 責任を果たしている自分の喪失感は、自分の存在価値をも否定するほど大きなものとして圧し掛かってきた。

      • ヘ)環境の変化への対応
        • 障害を受け、退職とリハビリ場所を求めて、転居したことに伴う諸課題を処理せねばならないが、全てを家族に頼まねばならない。
        • また、自らも新たな環境に対応せねばならない。
        • 思いがけず、私を襲って来たものは、「障害者としての自分の劣等感」であった。
        • 誇りを失った障害者の体という環境の変化にも同時に対応していかなければならなかった。

      • ト)経済的不安の発生
        • 急激な喪失体験は、将来の経済的不安を発生させた。
        • 二度と再起できない思いが心を占め、家族全体の生活が崩壊する思いにかられて行った。そのように過剰に危機を感じてしまうような思いそのものが、脳梗塞発症の精神的ショックが齎したものであったのであるが、当の私は知る由もなく悲嘆に暮れていた。

        • 36年間をかけて仕事をして来た経験や自信が、音を立てて砕けて行った。

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  • チ)獲得されて行く無力感
    • 身体のリハビリは、発症3ヶ月が「急性期」として急激に回復をする。
    • 6ヶ月目までは「回復期」として、順調に回復して行くが、大体6ヶ月位で固定すると言う医者の説明があった。

    • 確かに、座れた、寝返りが出来ていく、杖や装具を着けてでも歩けるようになることは、感動の連続であった。
    • でも、それ以降は薄皮を剥ぐような進歩しかなく、何かが出来るようにったと言うことは、今までのようには出来ないことを確認する事でしかないのであった。
    • 勿論、進歩は続いていくが、気の遠くなるような努力を続けなければならない。そして、その見通しは、全く見えないのである。
    • リハビリだけで、その後の人生を生きることは到底出来ない。

    • 精神的混乱は、不安、焦燥感、イライラ感が集中力を奪い、いつの間にか、新しい環境と機会に挑戦する意欲を失って行く。
    • 歩く・立つ・座る・話す等のADL(日常生活行為)の訓練だけでは、無力感が獲得されて行くことを知った。

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  • リ)希 死 念 慮。
    • 中途障害者になった人の8~9割の人が、「死」を連想していると言われている。症状自体も辛いものであり、また精神的に全てを悲観的に考え、この辛い状態は、生きている限りは永久に続くのではないかという錯覚に陥る。周囲にも迷惑をかけるし、自分に価値も無いなら死んだ方がいいのではないかと感じ始める。
    • ただ自分の死が、これ以上の家族の苦しみになるなら困るという思いが私の心を支配していた。
    • 自分が死を考えても、不思議と恐怖感は出て来なかった。
    • しかし死を決意した「遺書」を書くという気持ちは浮かんで来なかった。「遺書」を書くことで、これ以上家族を苦しめることは出来ないという思いと、自信喪失の中で書き残すべき自分の価値観が失われてしまったと感じていた。それに加え、段々と遺書を書く気力さえ失って行ったのである。


←2.悲嘆からの回復:「ステージ理論」→


2.悲嘆からの回復:「ステージ理論」

  • ① アメリカの精神科医エリザベス・キューブラ・ロスのステージ理論モデルである。08.JPG
    • 臨死患者が死を受容するまでにどのような心理的ステージを経るかに関するものである。

    • 第一段階は「否認と隔離」である。
    • ほとんどの患者は、痛ましい知らせを受けた後に『違います。それは真実ではない。』という。否認は衝撃を緩めるための健康な対処とされる。

    • 第二段階の「怒り」が、否認がもはや維持できなくがなくなる時現れる。この段階で情動を表出し終えると、第三の「取引」の段階に移行する。この段階では、驚くほど多くの患者が、多少の延命と交換に『神に生涯をささげる。』と約束したという。
    • 次の段階は「抑うつ」で、患者はこれから生じるだろう世界との決別を覚悟するために経験しなければならない準備的抑うつに陥る。
    • 怒りを吐き尽くし、嘆きも悲しみもし終え、患者は近づく自分の終焉を見つめる段階に至る。これが第五段階の「受容」である。09.JPG
    • 悲嘆からの回復には、色々な学者が「ステージ理論」という考え方の中に悲哀や悲嘆が心理的反応として導入されている。

  • ② アメリカのデンボー(Dembo,T.)とその共同研究者は身体障害
    • 者の心理的問題は「不幸」だと主張し、障害者自信の価値転換の必要性を説いた。
    • 障害を「心から受け入れた人々」においては、「価値の視野の拡大」と「比較価値から人生そのものの価値への転換」であると説いている。
    • 暗黒の絶望において、苦悩以外見えないのであるが、しかし、必ずや苦悩以外の何かに気づくときがある。
    • この何かが見えてくることが「価値の視野の拡大」と説き、さらに、これに希望と力が加えられ、再び生き甲斐のあるものとなると説いていた。

  • ③ ステージ理論は、障害者の多くの人々が陥る精神的課題を明らかにしてくれた。そのこと
    • で、私の心理的圧迫の整理と思索に多大の影響を与えてくれたが、解決出来たと思っても、再び全ての段階が繰り返され、時としては、ランダムに、またはアットランダムに襲って来た。
    • 苦悩の内容やその程度と苦悩の到来の度合いは、まさしく人によって様々に異なって出てくるであろうと思う。
    • 多くの人の悩みをひとくくりの対処方法で解決出来るものではないことを、しみじみと実感していた。自分の悩みを解決できない状況下に有りながらも、解決の道を自分で納得・受け入れなければならないのものであることも分かり始めていたが、その解決の道をなかなか見つけることが出来なかった。

  • ④ ステージ理論を知っただけでは、心理的圧迫の解決は出来ない。理論が理性の段階で納得し
    • ても、実感という感情が全ての基になることを感じていった。10.JPG
    • 実感を得ることが出来るにはどうすればいいのか。
    • その為には、「問題点を明らかにし」「その原因を整理し」「自分の出来る幾通りかの対策」を考え、それを絞込み「実行の為の準備を整え」「実行」する。結果如何によらず自分が「行動」する中で解決の道が開けてくるのだということが理解できた。
    • しかし、行動への絞り込みを何にすればいいのか・実行の準備と実行の為に、どれ程の時間を要するのか私には解らなかった。

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 はじめに
 1.脳梗塞の後遺症
 2.悲嘆からの回復:「ステージ理論」
 3.リハビリと身体障害者手帳―「リハビリの常識との乖離」
 4.私の「障害受容への道」
 さいごに

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←3.リハビリと身体障害者手帳―「リハビリの常識との乖離」→


3.リハビリと身体障害者手帳―「リハビリの常識との乖離」

  • ① 発症6ヶ月目に身体障害者手帳の交付を受けた。
    • 症状は、6ヶ月位で「安定期」に入り、急激な回復は望めないという医学の常識から判断されて行ったのである。

  • ② 私の障害は1種2級で「重度身体障害者」であった。
    • 「私が、重度障害者?」不思議な感慨であった。
    • 普通の人間で無くなったという思いと元のように戻ってみせるという正反対の思いが入り混じっていた。
    • しかし、知らぬ間に私の心の奥底に、「一生治らない障害者としての自分」という劣等感が刻まれていた。

  • ③ しかし、「回復が固定される時期」の手帳の交付の後から私の手足は急速に回復を始めた。
    • 発症して3年、今では、歩くことに関しては、生活に支障が無いほどになり、左手も少し動き始め、右手の補助作用を始めている。

  • ④ 私の回復の原点はリハビリの継続であり、希望を与えられたのは、同じ脳卒中体験者の自主
    • グループに参加したことで、多くの方の身体的後遺症が月毎に・年毎に改善されていく事実を知ったことであった。
    • 参加されている多くの人が、1年目より2年目、2年目より3年目、10年過ぎても改善するとの体験者の現実を知ったことで過酷なリハビリに向かえたのである。11.JPG
    • それは、亜脱臼による肩の痛みも、多くの方々が経験しており、筋肉が付けば治っていくという事実を知り、痛みに耐えて肩の筋肉を付ける努力を続けることが出来た。

  • ⑤ リハビリの重要さもも肩の痛みの対処方法を知った。
    • 未知のことを知ることで、安心と勇気と努力が始まる。知ること、理解することと行動の関係は、次のようであった。

      • イ)何が原因で対策が分からなかった状態 ―不安と恐怖で混乱する
      • ロ)原因と対策が分かった状態      ―不安と恐怖が和らぐ
      • ハ)理解した状態            ―不安と恐怖を超えて行動できる


←4.私の「障害受容への道」→


4.私の「障害受容への道」

  • ① 私の障害の後遺症について述べてきたが、この後遺症は中途障害者のみに当てはまるもので
    • はなく、「苦悩」や「悲しみ」は色々な喪失体験で悩む「老人」の寂しさや悲しみにも、リストラや会社倒産により職を失った中高齢者にも通ずるものがあると感じ始めた。
    • 障害者になったということが、実は、「高齢者の先取り」体験ではないかとふと思った。
    • 多くの方々が、齢を重ね、最後は障害者の体験を経て、その生涯を閉じられていくことを見つめていた。

    • 「障害と生涯」という言葉の響きに、不思議な感慨を覚えた。
    • また、その精神的圧迫からの脱出は、障害者だけではなく、若者を含め悩める多くの人の人生の大きな課題でもあろうとも思った。

  • ② 私は、「障害受容」という解決しなければならない課題に出合った。その中で、「障害受容
    • 」の道を開いて行けたのは、「1冊の著書」とその著者との出会いであった。
    • 私は、自分の精神的葛藤を克服すべく、数多くの書を求め続けた。「心理学」「哲学」「宗教」「病理学」などを学び続けた。
    • 私は、この精神的桎梏を解決すべく、解決された方の体験記を求めて、多くの書店巡りに、多くの時間を費やした。

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  • ③ 「心が動く」-脳卒中片マヒ者、心とからだ十五年-「森山志郎著」という1冊の書と出合っ
    • た。名古屋の「三省堂書店」で、いつものように「体験記」を求めた。
    • しかし、私の求めた書に出会わなかった。諦めきれないまま、医学書や解説書の専門コーナーに行った。
    • そこで、学術書の中に混じって、表装の色が、場違いな「金色に輝く黄色い書籍」が、目に飛び込んできた。
    • それが、「心が動く」との出合いであった。

  • ④ そこには、障害と共に15年間生きて来られた現実と越えて来られた多くの課題と努力の道程
    • が、丁寧に、正直に語られ、加えて障害と人生に深い考察がなされていた。
    • 私は、障害を受けて、丸1年が経過していたころであった。
    • 「私の障害受容の道」は、その中で「同じ苦悩を持つ人々との対話」を通じじて、同じ病に倒れた者のみに分かり合える「同じ苦しみの共感」ということが「障害受容への第1歩である」ということを知って行くのであった。

  • ⑤ 「同じ苦悩を持つ人々との対話」「多くの体験を知る」ということ。
    • 私は、病気の不安、過去の清算、自分の弱さ、悩み全般のことを誰にも言えず耐えていた。悩みを語ることで、それを弱音と取られ、その結果、弱い人間と思われたくないプライドという悪魔が私の心を支配していた。

      • ・ 「心が動く」の著者 森山 志郎氏の心身の脳梗塞体験への苦悩の数々は、私の
        • 苦悩そのものであり、私の心の苦悩を聞いて下さって、そのことに回答して頂いているような気持ちになった。

      • 13.JPG“やっと巡り合えた!”そんな思いが、この書を手にして思えた。
        • 私は、すぐ手紙を書き、感謝と著者が主催する自主グループへ参加を希望した。私は手紙に、正直に素直に自分の現状と悩みを訴えることが出来た。私への返事の手紙の中には、ご自分の体験を通した私の悩みに対する深い理解の言葉に満ち溢れていた。
        • 私は、そのことで「深く癒されて行く自分」を見つめていたのである。

  • ⑥「ピア・カウンセリング」―ピアとは、仲間、同輩という意味―

    • イ)「ピア・カウンセリング」:アメリカでは、この制度が、定着しているが、日本では自
      • 主グループの中で実施されているに過ぎない。
      • 「がん患者」「エイズ患者」などの人々の心を癒してあげるのは、同じ病気の体験者であると言われている。
      • 日本の医療には、精神的な課題へのピア・カウンセリングの制度は、専門職(ピアカウンセラー)としては、確立していない。

    • ロ)そこで、「心が動く」の著者の森山志郎氏の講演会での言葉を引用して、人が「傾聴し
      • てくれることが癒しになる」ことを記してみたいと思う。

      • 『自主グループで、発見したことは、「自分の痛み」「自分の悩み」「自分の辛さ」を外部の人に分かって貰えないことが、そこでは、自然に分かり合えるということです。

      • そこには大きな「心の平和」が生まれて来ます。
      • そこでは、あまり努力しなくても、仲間の中では分かり合えるのです。
      • 「みんな苦しんでいる仲間なんだ」「苦しんでいるのは私一人ではない」そんな仲間の中で初めて言葉を使う機会が生まれてきます。
      • それまでは恥ずかしくて、自分の話が出来なかったのです。14.JPG

      • 今でこそ、こうやって皆さんの前で講演をしていますが、その頃は構音障害(脳血管障害の後遺症の言語障害の一種)で、ほとんど言葉は出ませんでした。でもそんな仲間の中では、恥ずかしがらずに一生懸命に話しますし、相手も最後まで真剣に聞いてくれます。
      • なるほど「傷つける癒し人」と言われますが、傷ついたもの同士がお互いに「相手を癒してくれる」そんな立場があるのだろうと思いました。』と傾聴することの意義が語られている。

  • ⑦ 立川昭二先生は、次のように「癒しの人間学」 (参2) で語られている。
    • 『「癒しの時代」ということは、病むこと、苦しむこと、悲しむことのない時代というのではない。病いや苦しみや悲しみを自ら引き受ける者こそが癒される時代をいうのである。
    • そして、みずから病む者、苦しむもの、悲しむ者こそがまた、病む者、苦しむ者、悲しむ者を癒すことができる時代をいうのである。』と。 15.JPG

  • ⑧ 窪寺俊之先生はこのように語られた。
    • 『クライアントは、自分を上から見下ろされることが1番嫌がります。私もクライアントと一緒ですという気持ち、自分も死ぬし、私ももろい人間であることを、まず知ることである。
    • 重要なことは、自分の経験した最も辛い体験が1番役に立つのです。

    • →・共感する力になるーその人のところに降りて行って分かってあげることができる。
    • →・結局、痛みを知っている人が分かってあげられるのです。』と。

  • ⑨ V・Eフランクルの「夜と霧」 (参3) の中に、アウシュヴィツから開放された仲間のこと
    • が綴られている。
    • 人は、語ることで圧迫が融けてくると記されています。
    • 『開放されたある囚人が、収容所の近くのある親切な百姓に招待された時など、彼は食べて食べて、そして、それからコーヒーを飲み…そしてやっと舌がとけてくるのであった。
    • そして、今や彼は何時間も語り始めるのであった。かくして彼の上に積み重ねられた年来の圧迫が融けてくるのであり、そうなると彼の語り方たるや恰も一種の心理的強迫であるかのような印象を与えるのであった。

    • すなわちそれほど彼等の話は、語らざるを得ないと言ったとどめることのできない衝動であった。』「同じ苦しみの体験者」との対話の中に、障害者の「その人の苦悩への本心」や「心の願いの言葉」を引き出す力があるのであり、人は、語ることで「年来の圧迫」が融けて行くのであることを知って行った。

  • ⑩「同じ苦しみに共感する」16.JPG
    • 身体障害者の後遺症は、経験した者でなくては分からない。
    • このことは、実は悩める人全ての人に通じることではないかと思う。
    • 医療関係者も、家族であっても、ほとんどの人は健常者であり、障害の後遺症の苦しみは分かって貰えないのである。
    • 「また、始まったか!」「いい加減にして!「我慢すれば!」などの雰囲気を敏感に感じた障害者は多いはずである。
    • そのような雰囲気を感じたら、ただ黙るしかないが、不安や不満は消えたのではない。それは、沈殿し、巨大化して行くのである。

    • このような時、黙って聴いてくれて、自分の感じている苦しさを理解してくれる人がいれば、新しい自分に向かっていけるであろうと思う。
    • 先程の自主グループでは、各人の後遺症は違っていても、自分の苦しさが分かるだけに、他の人の後遺症には傾聴し共感し続けているのであった。

    • 話が終わった人は、例外がないほど安らかな表情に変わられる。
    • 後遺症が各人違うのだから、他の人のことを本当に全て分かったのではないと思う。人には、完全なる共感などはないはずである。
    • でも、「辛かったでしょうねえ。」「そんなに大変でしたか。」「分かるなあ。」という共感の言葉に心が癒され、心が開いて行かれるのであった。

  • ⑪「受容する:許すということ」17.JPG
    • ある中途障害者の体験話の概要である。

    • 私は、自分が健常者の時に見た光景を思いだした。

    • それは、会社帰りでいつもの駅で電車を降り、乗り継ぎのバスを待っていた時であった。隣の障害を持った男性が、横にいた年配の婦人に大声で怒鳴っていた。その原因は、障害者の男性が電車の定期券を財布に戻そうとしていたが、手が不自由な為か、定期券が上手く収まらずに何度も同じ動作を繰り返していた。
    • 隣で様子を見ていた年配の婦人が、『お手伝いしましょう』と手を出したことに対する怒りだった。

    • その時は自分を含め、多分この様子を見ていた人達は『人の親切を何で、こんなに憤慨するのか』理解できなかった。
    • 『障害を持つと、心まで荒んでしまうのか』と周りの人の同情は戸惑っている年配の婦人に向けられた。しかし、自分が障害者になってみて初めて「なぜあの男性が憤慨したのか」が理解できるような気がした。
    • 無論、あの時の婦人は親切で、手を貸そうとしたことには間違いが無い。

    • しかしその婦人に理解を求めるのは無理な話であるが、中途障害者の思いを理解されてなかったことだと思う。
    • 中途障害者の多くは、突然自分の身に起きた障害で、何事にも思うように出来ない。また時間がかかる等の苛立ちと、その現実を受け入れなければならない諦めとの狭間で生きている。すなわち自力で可能な生活のリズムやスピードを作り、一生懸命生きている。

    • 中途障害者は何をするにしてもぎこちなく、健常者の2~3倍の時間とエネルギーを必要とする。本人は判っていてもどうすることも出来ない。
    • しかし周りから見るとそれが時折「哀れみ」や『同情心』で手伝おうとする。
    • 本人は、定期を財布に戻そうと必死になっているところに、この婦人は自分(健常者)の感覚で、手間取っていることに同情し手を貸そうとした。
    • それが彼のプライドを傷つけてしまったのではないかと思う。

    • 障害者は、どんなに意地を張っても、自分でどうすることも出来ないときには「お願いします」と頼まざるを得ない。
    • その時に手をかしてあげるのが「親切」ではないかと思う。と。

    • 私は、深く考え込んでしまった。

    • 自己決定権の必要さが説かれているが、「人は自分の人生を自分で決めたい」という思いそのものの中に、人間の尊厳さと自分の存在を大切なものとして感じて生き切りたいという願いが現存しているのだと思う。18.JPG

    • 受容すること・許すとは、障害者のそのままのこころを知ってあげる、ありのままの障害者を受け入れることであるとする人のあり方が心に沁みた。

    • 私は、障害者になった自分をありのままに受け入れているのであろうか。


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さいごに

  • 発症以来3年を経過した。
  • あれほど苦しんだ「障害受容の課題」も解決への道しるべだけは見つけることができた。しかし、「障害受容が出来た」と宣言できる状況にはない。
  • 私は、辿り着いた今の心境を次のように感じている。

    • 1.リハビリは、「いのち」の表現としての生活の源になる元気な自分の身体への回帰への
      • 願いであったことに気づき、壊死した脳細胞の機能を他の細胞に対する代替機能の訓練であることを知った。
      • 自分の人生でかくも努力したことがあったかと思えるほど努力でき、そして、再び歩く力を取り戻していた。

    • 2.「障害の受容」について19.JPG

      • 「心が動く」 (参4) の書の中に次のように記されていた。

      • 『「障害の受容」は、「もう一度この姿勢で戦うぞ」と立ち上がらなければならないのだということ。もう一度、自信を取り戻し、何かの武器を手に入れ、再び立ち上がって戦う姿勢がもとめられる。だから、自分の努力で治そうと思っても、少しも治らない手足を見つめて「これは一時的な障害のはずなのに」と、見通しのないまま出口のない迷路に踏み込み、病院のリハビリ治療やマッサージなどに通う人が多いことになる。

      • 一日も早く残された機能を基本にして、新しい能力を身につける工夫をする方向に、切り替えねばならない。人間としての誇りを取り戻したら、手足の不自由なことは、個性の一部として考えられるようになる。』と語られていた。

        • ・ 私自身もまた「出口の無い迷路に踏み込んでいる」と強く思えた。
          • 身体的リハビリによる機能回復の訓練に、もう一歩進んだ生き方が求められているのだと思えるのには、長い時間を要した。
          • 私は、「障害受容」出来たのかと問われたら、今の自分では、「はい。完全に障害受容できました。」とは断言できる自信は未だない。
        • ・「完全に障害受容」することとこれからの人生のために、次のような課題が与
          • えられ、問われているのだと感じている。

        • ① 今までの学んできた思想、知識、体験に「新しい若干の障害の体験」が加え
          • られ、「新しい価値観の確立」「人生観の根本的見直し」を迫られていること。

        • ② 長い月日を経て、いろいろな心の変遷を体験しながら、今までの外についた
          • 価値(地位、名誉、お金など)ではなく、自分の中にある真実の価値(人間なるものの価値、愛というものの深さ、自然の美など)というものが豊富に埋蔵されていることを見つめ直して行くことの大切さを深く感得してゆくこと。

        • ③ 「人間の使命」、「誠の道を生きたいと願うこと」、「社会貢献」などの自
          • らの中に潜んでいる本当の願いと思いを深く尋ね、新しい自分を創り上げて行きたいという思いを信念にまで結実して行けるのかということ。

        • ④ そして、いつの日か「新しく創り上げた自分」を、多くの人のために捧げた
          • いという願いが自分の心の中に存在している事実を、行動にまで高めて行けるのか。その決意が、どうすれば出てくるのか。

        • ⑤ ここに私は、発症以来懸案であった「障害受容」という課題が、実は、
          • 「人生の受容」、「自分自身の受容」が出来ることであり、それは「行動を伴う本当の決意が生じる」ことであることを見出している。

    • 3.「人が弱った心を癒す仕組み」を見つめ、「障害受容」へ向かう!20.JPG

      • 私の体験で、諸課題を積み残しながらも、「障害受容」という巨大な魔物に向かって、真っ向から立ち向かうことが出来たのは、障害者の自主グループの存在であった。

      • 同病の人とのふれあいの中で、私は次の事柄を獲得出来た。

        • ① 自分ひとりではないことを知り、安心感が生じたこと

        • ② 自分の障害を直視できることが、過去ではなく、未来へ向かう「今」を獲得
          • 出来、出発する「今という基盤」が出来たことを意味すること。

        • ③ 障害を生き切った素晴らしい方々を知り、向かうべき目標と確立すべき「私
          • の使命」の可能性を信じ始めることが出来たこと。
          • そこには、深い人間観に基づいた指導者の存在があった。
          • そして、長い苦悩を静かに見つめ続けてくれた妻の存在と私の再起を心から願い、一緒に歩き続けてくれた友の存在が私を支えてくれたことを心から感じている。

          • 私は、勇気を持って、「障害受容の道しるべ」を辿っていきたいと思う。

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(参1)太田仁史 リハビリ・エッセンス「芯から支える」P25-122 荘道社1999
(参2)立川昭二:「メンタルケア論」P151 メンタルケア協会 2003
(参3)V・E・フランクル:「夜と霧」P150 みすず書房 2002
(参4)森山志郎(著)太田仁史(監):「心が動く」P66-69 荘道社2001

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 はじめに
 1.脳梗塞の後遺症
 2.悲嘆からの回復:「ステージ理論」
 3.リハビリと身体障害者手帳―「リハビリの常識との乖離」
 4.私の「障害受容への道」
 さいごに

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~脳卒中片麻痺者 体験と思索集~ 心が動く 森山志郎記念館~LinkIcon
「信仰」 脳卒中・片マヒ者・脳卒中片マヒ者 体験と思索集

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「愛情」 超高齢化社会への挑戦・高齢化世代の生活の再建・復活・創造

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「幸福」 素晴らしい生き方に挑戦されている中高年や障害者の生活記録です

四つ葉原画.jpg

四葉のクローバー

花言葉: 「希望」
「信仰」「愛情」「幸福」