復職体験記

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2.私の復職体験とホームページ制作へ至る道

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 1.「経営コンサルタント」としての復職と体調不良
 2.生きる方向を求めて
 3.「パソコンの学習」と「精神対話士養成講座」を自らに課す
 4.「地元での就労体験」(平成18年3月)
 5.他の人の評価を越えて(平成18年11月27日)
 6.発症5年の意義「退職を決意」する(平成19年6月13日)
 7.就労して学び得たこと(平成19年6月14日)
 8.発症5年の日「生きる方向性」を定めた日(平成19年6月27日)
 9.「NPO 生活の再建研究会」の設立とホームページ開設へ向けて

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2)私の復職体験とホームページ制作へ至る道

←1.「経営コンサルタント」としての復職と体調不良→

  • 1.「経営コンサルタント」としての復職と体調不良

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  • 私は、平成14年10月に「脳梗塞」発症以来わずか4ヶ月目で「経営コンサルタント」として、社会復帰を実施した。

  • その2ヶ月後の平成15年1月に「1種2級の重度身体障害者」の手帳を交付されたわけであり、今思えば無理に無理を重ねていたものだと思う。
  • 九州福岡への出張が、月に3~5日位の割合で約2年間実施した。
  • 1か月に4社の相談を受けたが、私にとって過酷な経験であった。
  • また、同時に長野県のある会社には「幹部教育」のために、月1回出講した。
  • コンサルタントの仕事の内容は、「経営の立て直し」という非常に難しい業務内容であったが、社長・幹部の理解の下で、精力的に業務を推進して行った。
  • しかし、私の体調は、月を経るごとに悪化していった。

  • 働き始めて2か月位経った頃から、マヒ側の左の肩が強烈な痛みを発し始めた。
  • 神経細胞の中に、針を刺し込んだような痛みが、24時間続いたのである。
  • その痛みの中で、九州に行くと毎晩酒宴が続いた。
  • 毎晩夕方6時から夜中の1時~2時まで続いた。
  • ホテルに帰ると、疲れがドッと押し寄せ、手の甲も足もむくみでパンパンになっていた。
  • 仕事を終え、自宅に帰りつくと、疲れのために眠ることもできず、その疲労感は今まで経験したことのないもので、肩も身体も100キロの石を抱えて歩くような重く、体の芯深くから後頭部へかけてあらゆる筋肉が硬直し、肩と背中の筋肉のコリは永遠にほぐれることを望めないような張りを伴う疲れであった。

  • 集中力を、持続できない自分に出会った。
  • 過去の私の仕事の実績を評価して頂いた上での、仕事であったが、気力だけではカバーできない、体力や行動力・行動範囲の限界を思い知らされた。

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  • それにも拘わらず、その時の私は、奇跡的に元に戻った少数の人々と同じように、発症後3か月の「急性期」から6か月の「回復期」完了までに「私も完全に回復するはず」という根拠なき思いにかられていた。
  • 現実は私の願いとは裏腹に、手足も動かず、理解ある人々に支えられて、やっとの思いで、仕事をこなしていた。
  • 勿論、自分の体調の状況は誰にも話すことはなかった。
  • 仕事をするということは、私にとって生きることであった。

  • 社会復帰をするということは、仕事をすることであり、まだ50代の自分にとっては、老後という言葉やシニアという言葉は別世界の出来事のように感じていた。

  • 私は、そのような状況の中でも過去の自分を演出するかのように、見栄を張り、弱音を見せず、毅然と生きることを潔し(いさぎよし)と感じていた。

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 1.「経営コンサルタント」としての復職と体調不良
 2.生きる方向を求めて
 3.「パソコンの学習」と「精神対話士養成講座」を自らに課す
 4.「地元での就労体験」(平成18年3月)
 5.他の人の評価を越えて(平成18年11月27日)
 6.発症5年の意義「退職を決意」する(平成19年6月13日)
 7.就労して学び得たこと(平成19年6月14日)
 8.発症5年の日「生きる方向性」を定めた日(平成19年6月27日)
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←2.生きる方向を求めて→

  • 2.生きる方向を求めて

    • 平成16年:あと1年で還暦を迎えようとしていた。
    • 私は、これからの自分を生きる「道しるべ」が何もないことに気付いていた。
    • 重度身体障害者の自分が何をなせばいいのか。

    • ① 生活をして行かねばならない。
    • ② 生きがいある人生を送りたい。
    • ③ 障害者になり、しかも、高齢化世代を迎えようとしている。

    • その事実の中で、私は自信喪失して行く自分の心との対話を続けながら、これからの人生を生きる光を求めて、読書と思索に没頭していた。
    • 半年間、籠ったように読書とリハビリに明け暮れた。
    • 心の力を失ってしまった私に残されていたのは、「読書」と「リハビリ」に没頭するしかなかったのである。

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 1.「経営コンサルタント」としての復職と体調不良
 2.生きる方向を求めて
 3.「パソコンの学習」と「精神対話士養成講座」を自らに課す
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 5.他の人の評価を越えて(平成18年11月27日)
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←.3.「パソコンの学習」と「精神対話士養成講座」を自らに課す→

  • 3.「パソコンの学習」と「精神対話士養成講座」を自らに課す

    • 明らかな方向性は見つからなかったが、2つの行動をまず自分に課した。
    • それは、「パソコンの学習」と「精神対話士の受験」というものであった。
    • パソコンの効用は、知っていても自分が習得するものとは考えてもいなかった。
    • しかし、インターネットの時代「ウエヴ2・0革命」が世界を席巻しつつあり、「ウエヴ3・0革命」の到来が間近に迫りくることを考えると今後のコミュニケーションを図る手段としてもパソコンは欠かせないものと思えた。

    • ① 自主グループ「片マヒ自立研究会」へ参加し始めて、多くの会員が、パソコンの修得に努力
      • された話が、私の「パソコン習得」へ背中を押してもらえた。

    • ② 田坂広志(ださか ひろし)多摩大学大学院教授(社会起業家フォーラム代表)は、これか
      • らの時代を次のように論じている。

    • 『いま、「ウェブ2・0革命」が世界を席巻しつつある。
    • 1995年に始まった「ネット革命」は、2005年を境に「ウェブ2・0革命」へと進化したが、この情報革命の最先端の潮流は、これから「イノベーション」というものに根本的なパラダイム転換をもたらす。

    • 第1に、イノベーションの「主体」が変わる。

    • これまで、イノペーションとは、政府や企業が主導し、少数の優れた研究者や技術者、ビジネスマンや起業家、政策担当者や専門家が起こしてきたが、これからの時代は、それだけでなく、無数の生活者や消費者が、イノベーションを生み出す「主体」となっていく。
    • これからは、生活者や消費者が自らの意思と知恵によって、技術や商品、サービスやビジネスモデル、社会システムや社会制度のイノペーションに参加し、推進していくようになっていく。

    • 第2に、イノベーションのめざす「目的」が変わる。

    • これまでのイノペーションは、「より速く、より効率的に、より快適に」というスローガンのごとく、「物質的な豊かさ」を実現するために行われてきた。
    • しかし、これからの時代のイノベーションは、むしろ、「より深い喜びや満足、幸福感を求めて」という言葉のごとく、「精神的な豊かさ」を実現するために行われるものになっていく。
    • これは、決して理想論や精神論を述べているのではない。
    • すでに現実そのものが、その方向に動き始めている。』
    • そして、「ウエヴ3.0革命」の時代の到来が近いことを語られていた。

    • ③ 「精神対話士」は「心の癒しの専門分野」であった。

    • 障害者になって、身体的苦痛に加え、パニック障害などが急に押し寄せてきてもそのことを訴える場所も相手も分らなかった。
    • 医療関係者に訴えることも出来なかったのは、「弱い人間だ」と思われたくないという気持ちであることに私は気付いていた。
    • しかも、日本の障害者医療の対象は、機能的なものに優先度があり、心の癒しはその対象になかった。私は、心の専門家になろうと思った。

    • そして、発症3年目の平成17年1月から行動を開始した。
    • 1週間・日曜日を除き1日5~6時間のパソコン学習に約2ヶ月を費やした。
    • そして、4月から「精神対話士養成講座」に毎週土日3ヶ月せっせと通った。
    • パソコンの世界と今まで学んだことのない精神の世界に目覚めていった。
    • 運よく平成17年10月「精神対話士」に合格した。
    • そのことは、203名中5名という難関を突破できたことで若干の自信を取り戻したが、学びへの意欲とは別に、勝手に深く塞ぎこんで行く自分を感じていた。

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 1.「経営コンサルタント」としての復職と体調不良
 2.生きる方向を求めて
 3.「パソコンの学習」と「精神対話士養成講座」を自らに課す
 4.「地元での就労体験」(平成18年3月)
 5.他の人の評価を越えて(平成18年11月27日)
 6.発症5年の意義「退職を決意」する(平成19年6月13日)
 7.就労して学び得たこと(平成19年6月14日)
 8.発症5年の日「生きる方向性」を定めた日(平成19年6月27日)
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  • 4.「地元での就労体験」(平成18年3月)

    • ① 平成18年3月20日より、地元の企業に勤務し始めた。
      • 地元の商工会議所からの紹介で、中小企業の諸課題の相談ということで地元の企業の「人事・総務・経営支援」「経営戦略室」にという話が舞い込んで来た。
      • 1週間に2~3日の予定でということであったので、私の生きる方向性を考える時間も確保出来そうであるし、経営者に会うこととした。
      • 私の職務経歴書を見られて、私に、経営方針を語られ、是非企業目標の達成のために、力を貸してほしいとの熱意に勤めることにした。
      • 勤務体制については、思いもかけず、週に5日フルタイムでということになった。

    • ② 与えられた運命に従うこととしたが、心身共に大変厳しい仕事に従事することになった。
      • 初めて会う種類の社長であった。激しく、合理的で、どんな小さなことにも決して妥協を許さない方で、「自分の経験と閃きによる経営」を実施されていた。
      • 他の人の意見は受け入れず、会社全般の全ての決裁を自ら実施し、幹部社員にも任せるということも全くない方であった。
      • ただ、その行動力と仕事に対するご自身への厳しさは、驚くほどのものであり、企業の前線に自ら立ち、強烈なリーダーシップを発揮されていた。
      • 多くの人が、必死に、付いて行っている状況であった。
      • 「戦略室長」という肩書の元で、自分の仕事をゼロから作って行った。何十年振りのサラリーマンのやり直しであった。

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    • ③ 「これという決まった仕事がなく、そのうちにやることが出てくるでしょう。
      • 自分で仕事を作っていってほしい。」という方針であった。
      • 私は、データー管理・分析から始めて、会社の方向性の提示を行ったが、最初は全く聞く耳を持たれなかったし、興味も示されなかった。
      • 「この仕事に経験もない者に何がわかるか!」という考え方であり、はっきりとそのように言葉に出されることもあった。
      • 私は、「提示すれど、是非を自ら判断せず」という考え方で仕事を進めた。
      • 厳しい社長の考え方は、「誰のミスも、どんなミスも許さない」というものであった。
      • 経営的苦難の続く地元産業界にあって、非常に利益率の高い優良企業を作り上げられた手腕と仕事への超人的行動力に、深い畏敬の念さえ持った。
      • 私も、運命を自ら受け入れたからには、簡単に退職は考えないと決意し、常に会社主体の考え方で仕事に取り組んだ。

    • ④  緊張感漲る毎日 を生きていく中で、 「脳の活性化」 を実感出来て来た。
      • 脳は、緊張と集中力により活性化することを実感して分かることが出来た。
      • これは、何よりも貴重な経験であった。
      • このような形で就労したのも、何かの生きる意味と学ぶものがあるはずだと思えた。
      • 必要な時と自分のなすべき課題が生まれるまで、この運命を受け入れようと思った。
      • 企業として、経営資料を含め、大事だと思われる仕事のデーターファイルや残すべき作業手順書などを作り続けた。
      • なかなか受け入れて貰えないことに、辛いものが有ったが、経験したことのない業種環境の中で企業の成長に多くの可能性を感じた。
      • この会社を去る時になって、社長が、私が実施してきた仕事を高く評価されていたことを知ったが、当初は全く相手にされなかった。
      • 相手にされないようなことも、初めての経験であり、当初は、非常な違和感と戸惑いを感じたが、そのことによって「脳の強烈な訓練」がなされていた。

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←5.他の人の評価を越えて(平成18年11月27日)→

  • 5.他の人の評価を越えて(平成18年11月27日)

    • 私は、他の方と異なる私の人生を歩んできた。今現実に、私がなすべきことは、自らの道を求めての思考錯誤と精一杯をどう生きるかである。評価は他の人の問題である。
    • 今、与えられた責任ある仕事と貴賎なき仕事の本質を学んでいる幸せを感じている。

    • しかし、会社員は、いつか必ず会社を退職しなければならない。私は、そんな当たり前のことを、初めて実感していた。

    • 私が、退職後の人生での、私の社会貢献への道を考えることは、許されることである気がし始めている。まだ明確に固まっていないが、生きる方向を感じ始めている。
    • 自分の成すべき道が決まって、そのことを発表することで、増上慢との批判を恐れている私がいる。
    • 私は、勇気を持たねばならないと思う。

    • 年を重ねるということは、新たなる成長となるのだと思う。
    • 肉体が衰えた時こそ精神が一番生長する時だと「アウシュビッツの過酷な経験の中から」ヴィクトール・フランクルはいう。凄い考えだと思う。
    • 毀誉褒貶は人の心。自らのなすべきことを、思考し、情報収集をやり続けようと切に思う。そんな自分になれたことが嬉しい。

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  • 6.発症5年の意義「退職を決意」する(平成19年6月13日)

    • ① 私は、企業を辞める決意をした。62歳になった。
      • 通常の定年65歳までの許された勤務時間の3年後から、それからの自分の高齢化時代の生き方を考えるには時間が余りにも惜しいという思いが募ってきた。

    • ② この病を得て、学び続けてきたことをもって、何か、世の中のために、少しでも貢献できる
      • と感じる世界を作り上げたいと感じるようになった。
      • 仕事は、企業が続く限りキリがないが、人生には、春秋があると思えた。
      • この企業を辞めて、私の仕事で処理に困られたら、いつでも出社して無報酬で処理しようと思えたとき、突然7月2日に辞表を出すという考えが浮かんだ。

    • ③ 会社を辞めて、全く新しい世界に挑戦するということは、考えているより困難が待っている
      • 気がするが、挑戦しなければ一生後悔するであろう。

      • 万が一、今の環境に満足していれば、自分との安易な妥協の世界で生きて行ったであろう。人のために貢献できる道を生きれば、道が開かれると信じる。

    • ④ 発症して丸5年を経て、脳梗塞という私にとって、耐えがたき苦難と思えたこの病から新しい
      • 導きを得ていると思えて来ている。
      • この病は、結局私の自立を促してくれた。
      • 私は、私に期待してくれている人たち・わたしを信じてくれたひとの為にも立とうと決意出来た!

      • 「空手、自ら立つ!」とはこういうことであったのか。

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  • 7..就労して学び得たこと(平成19年6月14日)

    • ① 良い勉強をして来た。辞表出す2週間をどう生きるのか。
      • 勤務して1年3カ月。沢山のことを学ばせていただいた。
      • 身体のリハビリ・脳の訓練・トップの影響力・働く人の悲しみ・現象の厳しさ・健常者の中での生活で、通用できる自分の能力の確認が出来た。
      • 本当に有り難いことであった。

    • ② 就労して、驚いたことは、そのすべての権限がトップ一人にあることであった。
      • 長い間、私自身がトップで有った故に、権限という重みを忘れ去っていた。
      • しかし、仕事をして行く中で、不満を感じた何も権限を与えられなかったことは、訓練しようとしても出来ない耐える力の涵養となり、今後の生きる沢山の力と自信を頂いたのかもしれない。
      • そう思うと有り難いだけの会社生活であった。

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  • 8.発症5年の日「生きる方向性」を定めた日(平成19年6月27日)

    • ① 5年前の今日。私は、脳梗塞で倒れた。5年前の今日、病室で株主総会が無事に終わったこと
      • を知り、その後多くの面会者に会うことになる。
      • 脳梗塞も1週間や10日間で完治するものと思っていた私は、何も心配することも無く、まさか、肉体的・精神的地獄の日々がくることなど全く想像さえ出来なかった。あれから5年という歳月が流れた。

    • ② 色々な人々や思想との出会いの中で新たな道を求め始めた。
      • 少しでも世の中や人のために生きたいと切に思う。
      • 同じ志の人が必ずいると思う。
      • そのために、どんな仕事を作り上げていくべきか考えてみたい。
      • オリジナリティーのある何かを考えて、一つの方向性を見つめること。
      • 現実の世界が、どのように動き始めているのか、何を求めているのかも知らなければならない。

    • ③ 今日、私の生きる方向性のたたき台をスケジュールと共に妻と友に提示した。「脳卒中・中
      • 途障害者とシニア世代の生活の再建研究会」というタイトルが浮かんだ。
      • ホームページの制作を中心に行動開始することとした。
      • 今年中に、このたたき台に、肉付けをして行くことを宣言した。
      • 妻も友も心から賛同し賛成してくれ、全面的協力を約束してくれた。
      •  この日まで、5年という貴重な時間を生きて来たことに深い感慨を覚えた。

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  • 9.「NPO 生活の再建研究会」の設立とホームページ開設へ向けて

    • ① 平成20年3月2日 「NPO 生活の再建研究会」を設立した。

    • 目的を次の通りとした。

      • 1. この会は、「脳卒中・中途障害者」と「中高年・団塊世代・シニア世代」の「生活の再
        • 建・復活と創造」の方向性と具体的な行動の指針を明らかにし、その全国的情報発信・具体的事業推進・展開することを目的とする。

      • 2. この会は、「中途障害者の体験と研鑽」を活かし、また、「シニア世代」の高齢化社会
        • での生活の基盤作りと具体的行動指針を明らかにし、真の福祉社会と尊厳性のあるシニア世代の生活の再建を実現するために、インターネットを主媒体とした事業を展開する。

      • 3. その意味で、脳卒中以外の障害者とも情報交換や支えあいながら、「障害者」・「高齢
        • 化社会での新生活の再建を模索している人々」や「共生社会を創造する願いをもっている人々」「ボランティアグループ」「出版関係者」などとも支えあえることの出来る共生社会を実現することを目指す。

    • 「壮大な夢を載せて、小さな会が出発した。
    • 私は、自分の一生を掛けて生き切る道を思い定めた。」

    • ② 会員の願いと祈りによる新たなる出発である。
      • 片マヒ自立研究会の森山 志郎 会長と㈱みどりのもりの代表の別府さんに相談役就任を依頼した。
      • 将来は、各地区へ支部を創設できたらと思う。

    • ③ 相当の量のホームページになると思うが、どのように表現して行けば良いのか研究して行き
      • たい。

    • ④ 7月2日企業を退職し、「ホームページ開設の構想」を練り、開設の準備に入った。退職した
      • 後も企業復帰へのお誘いを毎月のように受けた。
      • その都度、企業復帰はお断りを続けた。
      • 仕事をしながらのホームページ開設準備は不可能に思えた。

    • ⑤ 平成20年に入って、「生活の再建研究会」の構想が固まったので、そのことを正式の理由と
      • して企業復帰をお断りした。
      • 思いがけず、非常な感動と会の趣旨への賛同を受け、ホームページ開設後の活動への企業としての応援の申し出を受けた。

    • ⑥ 迷わず、思い定めた道を歩き続けることができるように成って行った。
      • 「この道を、一筋に、愚直に歩き続けて行こう!」そう決意している。

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~脳卒中片麻痺者 体験と思索集~ 心が動く 森山志郎記念館~LinkIcon
「信仰」 脳卒中・片マヒ者・脳卒中片マヒ者 体験と思索集

シニアの息吹 へLinkIcon
「愛情」 超高齢化社会への挑戦・高齢化世代の生活の再建・復活・創造

ここに人あり へLinkIcon
「幸福」 素晴らしい生き方に挑戦されている中高年や障害者の生活記録です

四つ葉原画.jpg

四葉のクローバー

花言葉: 「希望」
「信仰」「愛情」「幸福」